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ID 3508
フルテキストファイル
その他のタイトル(欧)
A Counterfeit Hidden Treasure (KUKAI OTEIN-ENGI) by Emperor Godaigo-tennou
作成者
Self DOI [info:doi/]
掲載誌名
和歌山大学教育学部紀要. 人文科学
ISSN
1342582X
NCID
AN00257999
69
開始ページ
1
終了ページ
6
並び順
01
発行日
2019-02-08
本文言語
日本語
抄録(和)
建武政権の末期、後醍醐天皇による高野山「御手印縁起」の筆写作業について、基礎的な事実確認を行った。後醍醐天皇は、鎌倉得宗政権の安達泰盛の先例にならって、「御手印縁起」旧領の興行(復活)を金剛峯寺に認め(元弘勅裁)、さらに約二〇〇名もの新学侶の取り立てを行い、「御手印縁起」の新荘をもって経済的な裏付けとするなど手厚い保護を加えた。それを支える権威として自らの筆写した高野山「御手印縁起」(後醍醐本)を献納し、新会堂(現在の愛染堂)に結集した高野山改革派集団に主導権を掌握させたのであった。原本の京上後一月足らずで作られるという緊急措置であったが、建武政権は軍事的に瓦解し、「御手印縁起」が高野山に返納されたのは、後醍醐の死後のことであった。後醍醐の措置は、高野山にとって破格の徳政と思われるが、現実には新任座主の文観に対する排斥運動という形で全山一揆の反発が広がった。この反文観、反新会堂の厳しい戦いがなければ、衆徒一同の自治が勝ち取られることはなかったのではないか。その意味で、「御手印縁起」後醍醐本の成立は、神の国・高野山の濫を示すものといえよう。
資料タイプ
紀要論文
著者版フラグ
出版者版