ID | 3839 |
フルテキストファイル | |
その他のタイトル(欧) | What is “Traditional ideas”of Budo? : Shorinji Kempo as an Example
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作成者 |
華山 恵志朗
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Self DOI [info:doi/] | |
掲載誌名 |
和歌山大学教育学部紀要. 人文科学
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ISSN | 1342582X
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NCID | AN00257999
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巻 | 70
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開始ページ | 29
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終了ページ | 36
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並び順 | 05
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発行日 | 2020-02-04
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本文言語 |
日本語
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抄録(和) | 2008年の学習指導要領改定によって、中学校保健体育では武道が必修とされた。しかし、その教授内容である武道の「伝統的な考え方」や「伝統的な行動の仕方」とは一体どういうものなのかは示されておらず、議論も十分になされたとは言い難い。また、主要な柔道や剣道においては、そもそも「伝統」とは言えず、近代化の過程で形作られた近代文化であるという指摘がなされている。このことからも、より武道の「伝統」を問う必要に迫られていることが分かる。そこで本論では、少林寺拳法の「伝統的な考え方」とは何かを明らかにすることを通して、武道の「伝統」を考察する上での視点を提示した。その結果、少林寺拳法の考え方を「伝統的な考え方」として、学校教育で教授することの矛盾や限界を明らかにすることができた。少林寺拳法においては、創始から現在に至るまで貫かれている「伝統的な考え方」として「金剛禅」という宗教的な考え方が存在する。さらに、少林寺拳法では、肉体面の修行だけではなく精神面での修行を重視する視点から、少林寺拳法の目的や理念について学習する「学科」というシステムを取り入れている。以上の2点を、少林寺拳法の「伝統的な考え方」であるとした上で、武道必修化において少林寺拳法を扱うことの限界や、考察が不十分であるということを指摘した。同時に、武道における「伝統」に関する検討がより一層求められることを示唆した。
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資料タイプ |
紀要論文
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著者版フラグ |
出版者版
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