本研究の目的は、一人称の語り手が怪異現象を語る文学作品(川上弘美『花野』)を対象とし、語り手が何をどのように語っているかという語りの内容と構造を分析するとともに、その語り手の語りを俯瞰・相対化したところに立ち上がる語り手を超える領域を読み重ねることによって読者に表象される作品世界の拡張性を解明することにある。川上弘美『花野』における語り手「わたし」が出来事を語る意図は、交通事故で亡くなった「叔父」が未練を残さず自らの意志によって現世と決別できるよう寄り添い支えた自身の経験の日常性を伝えることにあったと推察できる。それは生者による死者の鎮魂とは異なり、死者の未練の思いに寄り添い、死者の自立を促し支えた経験の記録という意味合いを持っている。さらに、語り手を超える領域を読むことで、死者が生者に支えられながら生前の現世での人生の矛盾に思い至り現世への未練を解消するプロセスを読み取ることができる。こうした、語り手が語る世界とその外側に広がる世界とを読み重ねる試みは、語り手の語りの内側を読もうとする先行研究を相対化し、作品世界の拡張性を拓く。